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  (1)

 静岡の街は、私の好きな街の一つです。
それは東京のようにゴミゴミした喧騒(けんそう)な大都会ではなく、それでいて都会の雰囲気を味わえる、瀟洒(しょうしゃ)な街といったら良いでしょう。第一に駅からして良いことです。コンコースは広々としたスペースがあり、構造的にも分かり易く、丁度、私の一番好きな街の京都の駅のように(規模は比べものにはなりませんが)広く、分かり易いことです。その点、東京は東京駅を筆頭に、渋谷・新宿・池袋と、非常にゴミゴミしている上に、まるで迷路のような駅には辟易(へきえき)してしまいます。
                                        私は静岡の街へは、少なくとも、週に1回のペースで参ります。それも電車を利用します。車だと駐車場をどこにするか迷ってしまい、運転技術の覚束(おぼつか)ない私にとっては、電車の方が30数分の旅が楽しめます。それはまた、車と違って、電車内の人たちとの色々な出会いがあり、小説などのちょっとした素材にもなるからです。
 そもそも静岡へは、本を求めに行くのが第一の目的です。まず、西武デパートの手前には、戸田書店があり、呉服町には江崎書店、谷島屋があり、新静岡センターには丸善があります。また、浅間神社の門前通りには、3、4軒の古本屋があります。これらの本屋をすべて見て回ったら切りがありませんので、いつもは、谷島屋一軒に決め、そこに目的の本がなければ、新静岡センターの丸善に行きます。丸善には40万冊の本をそろえてありますから、大抵は、見付かります。

 大体(だいたい)にして最近は、丸善にして然(しか)りで、余り本がありますと目移りがして、あれも欲しいこれも欲しいと、買ったはいいが読んでいる間(ま)がなく、積んで置くことになってしまいます。現在、私の書斎には既(すで)に数千冊の本がありまして、本を買っても置くスペースがない有様(ありさま)です。但(ただ)、本好きの私にとっては、新聞の広告を見ましても、直(じか)に本屋に行きましても、読みたい本が次々に発売され、それを買って読む間も、所有するスペースもないにもかかわらず、ついつい買ってしまうのです。

  次の目的はCDを買うことです。今ではレコードは無論のこと、カセットも少なくなり、CDとかMDの時代になりまして、新(あら)たにCDを買って、それを聴くことが、今の私にとっては、一つの心の癒(いや)しにしております。殊(こと)に今は、童謡、唱歌、子守唄に嵌(は)まっています。そこで、そのCDは、すみやを利用しています。先ずは新静岡センター店に行って物色(ぶっしょく)し、そこに目的のものがない場合は呉服町本店(現在は移転しました)に行きますと、大抵のものはあります。

 次に衣服です。衣服は松坂屋、西武(現在、改装中でパルコになる)、伊勢丹と良いものがありますもので、これも目移りしてしまい、伊勢丹1軒に絞(しぼ)って物色します。しかしながら、デパートは高価なもので、そうそう買うことは出来ません。よっぽど経済的に余裕のあるとき、これぞと決めたものを、たまに買うぐらいで、普段はウィンドーショッピングをするだけです。
                                                             次に食事です。いつも9時か10時頃、富士駅を発って、4時か5時前には帰って来ますので、昼食は静岡でとることになります。当初は呉服町に1軒、安くて、うまい中華料理店があったのですが、そこが倒産してしまい、それからが大変でした。とにかく、他にうまい店が見当たらないのです。デパートのレストランは便利なことは便利ですが、うまくはないのです。ところが、私が静岡駅から北側の街の方に目を向けて探していたのが間違いで、南側を探せばと、思い立ったのは昨年の暮のことで、なるほど、ダウンタウンと言われる方が安くて、うまい店があるものです。そこで見付けたのが、駅南口の直ぐ近くにある、中国料理店です。値段も手頃な上、ボリュームもあり、確かに、うまいのです。第一、食材を惜しみなく使うのです。それは、良い店であることの基本的な証明です。それから静岡での食事は、この店ですることになりました。
 次に、食後の楽しみはコーヒーを飲むことです。これも安くて、うまい店があるのです。それが、ドトールコーヒーです。駅にもありますが、こっちは混んでいて、狭苦(せまくる)しいので行きません。その点、新静岡センター店は、店内は多少、混みますが、外に三つ四つテーブルが置いてあり、イスもそれ相応にありますので、暑がり屋の私は、冬でもアイスコーヒーを外で飲むのです。料金もSが180円、Mが230円とリーズナブルな上、うまいので、ここで行き交う人たちを眺めながら、コーヒーを飲み一服、吸うのが楽しみです。
                                                             次に楽しみなのは青葉公園です。この公園は繁華街の中心にあり、土・日には、何かしらイベントが行われて、それもいいのですが、ウィークディに来たときは、ベンチに坐ってタバコを吸うことです。ここは欅(けやき)が規則正しく植えられていて、春・秋は勿論、夏も涼しくて快適で、のんびり過ごすには持って来いの場所です。さらに私は、ここに居るハトが好きで、近くのコンビニでポップコーンを買ってきて、それを餌にしてやるのです。これが所謂、アニマル・アシステッド・セラピーになるわけです。(現在は、ハトに餌をやることは、禁じられております)
                                                                                                                             このようにして、私は静岡の街で一日を過ごして来るのが、この年齢(とし)になっての楽しみです。それが、ここで色々な創作の草案がうかび、小説にしても評論にしても、また、短歌、俳句もうまれます。静岡の街はまさしく、私にとっては創作の産地です。


   (2)

  私は静岡の街へ特に多いときには、週に2、3回行くことがあります。別にこれといった用があるわけではないのです。とにかく静岡の街が好きなことと、読みたい本を買うなどの買物をすること、それに何か書くネタがないかといった、軽い気持ちで行くのです。だから時間的にも目的的にも制限はないわけで、静岡の街の行きたい所に、行きたい時間に行くわけです。
  私が静岡の街へ頻繁に行きはじめた頃、それは今から5、6年前になるでしょう。駅のトイレに入ったときのこと、隣で用を足していた若い男が、私に声を掛けてきました。それが猥褻な言葉で、早い話が、その男はホモのようです。その言葉は余りにも卑猥で書くことは出来ませんが、帰りしなに、その男が、
 「兄さん、ホテルに行きませんか」 と、言ってきた。
 私もさすがに、このときは背筋がぞっとして、逃げるようにして急いでトイレから出ました。
 これだけの街です。そして、これだけの人がいるのです。ことに女子高生が多い。外国人も増える一方です。それに全国各地から仕事で多くの人間がやって来ます。それだけに如何(いかが)わしい人間も、当然いるわけです。また、これだけの都会であり、それだけの社会です。 こんな輩(やから)がいてもおかしくない時代でありますから、その分、ものを書くネタも多いということです。 
  しかしながら、楽しいことも当然あります。それは若い女性が多いということ。そのファッションを見るのも楽しい。中にはロリータファッションも時々見掛けます。たまに、ハッとするような美人に出会うことがあります。勿論、私はその美人に声を掛けることも、色目を使うこともしません。そんなことをしても、私には何のメリットもないのです。むしろ、そんなことをしたら恥をかくのが関の山です。私は唯々、その美しさを鑑賞するだけであり、目の保養とするだけです。私もそんな歳であり、また、それが一番、無難であるということです。

 そんな私ですから、静岡に来て少し羽を伸ばそうと思ったとしても、危ない遊びはしないし、また、出来ません。そこでヤジウマ根性と面白いネタを探したい、という気持ちとが相俟って、秋の4時過ぎの青葉公園に行ってみることにしました。
 この公園には夕暮れ時、売春婦が出没することは前々から知っていました。実際に以前、夕暮れ時にこの公園のベンチに坐って、タバコを吸っていると、外国の売春婦に声を掛けられたのです。彼女らの一つの手でしょう、まず、「火をかして……」
 と、流暢(りゅうちょう)な日本語で言ってきて、それできっかけをつくるというわけです。
                                                            この日も、秋の日は釣瓶落としの夕暮れ時に行ってみると、まだ、そんな気配はなく、周囲も明るい。私は噴水の手前のベンチに腰を下ろしタバコを吸っていると、ほどなく、二人の若くてきれいな女性が、パンフレットのようなものを持って、それを見ては笑いながらやって来た。そして、私の前のベンチに腰を下ろしました。最初、てっきり、二人は、この近くの会社のOLだと思って眺めていましたが、二人の会話をよく聴いていると、どうも日本人ではなく、言語から東南アジア系の女性であることに気が付きました。パンフレットと思われた物は、自分たちの現像したばかりの写真のようで、それを見ては、二人で笑い興じていました。そこへ中年の遊び人風の男が自転車でやって来て、二人にインスタントカメラを渡したのです。それから私は、この二人の女性を不信に思い、この男も何等かの関係者であると思いました。
                                                           すると、臭いをかぎ付けてきた動物ように、60歳を過ぎた白髪頭のオヤジが渋い色のジャケットにピンクの柄のオープンシャツを着て、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、まるで、プレイボーイのような顔をしてやって来ました。白髪頭を短く刈って、いかにも獲物を漁(あさ)りに来たという風です。そして、二人の女性を見ると、獲物を見つけたと言わぬばかりに、声を掛けようとしました。ところが、その様子を私が凝視(ぎょうし)しているのに気が付くと、決まり悪そうに、一旦はその場をやり過ごし、一番はずれのベンチに腰を下ろしました。

 それからです。二人は私に意識し出し、チラチラと視線を送り、私と視線を合わせようとしてきました。無論、私はそれに対して風馬牛です。唯々、この二人の様子を観察したいというヤジウマ根性とそれを書きたいという考えしか頭にはありません。この様子を見て、さっきのオヤジは、あきらめたような顔をして、この公園から逃げるようにして出て行きました。そんな時、パトカーが巡回して来ましたが、そのパトカーを見て、彼女等が、気色(けしき)ばんだのです。やはり、うしろめたさがあるでしょうか。
 そのうち二人は、そのインスタントカメラで写真を撮り合っていましたが、そのカメラを私の方に向けて挑発してきたのです。私はひたすらそれに動じない態度をとりました。そんな私に彼女等も控えてはいたのですが、二人は視線を私に向けては、笑顔をつくって話し掛けようとしてきたので、これ以上ここにいてはと思い、咄嗟(とっさ)にこの場を去りました。

 但(ただ)し、これだけで彼女等を売春婦と決め付けるのは、余りにも私の自分勝手な憶測(おくそく)であり、早合点(はやがてん)でもあるし、可哀想(かわいそう)です。第一、私には女を買う気持ちはありませんし、そんなお金も持っていません。彼女等が売春婦であるとしたら、そんな男に愛嬌を振りまくのは馬鹿げたことです。私も彼女等が売春婦であれ、何であれ、これ以上関わりたくはありません。もし関わったら、恐らく『いい歳をして……』と、世間から笑われるだけです。『君子はあやうきに近寄らず』です。
 私も家に帰ろうと静岡駅に向かいましたが、途中、呉服町の交差点で、さっきのオヤジに会ったのです。オヤジは苦(にが)りきった顔をして私の顔を見ていました。


   (3)

 こう度々、静岡の街に行きますと、土地勘も少なからず、備わってきます。そこで、再認識しましたのは、これまで余り、行かなかった駿府公園に改めて驚かされました。
 まず、その広さ、その美しさ、その快適さ、それは、あらゆる人たちの憩(いこ)いの場所となっております。これだけのものを誇る公園は、私の知るかぎり、静岡県では他にはないと思います。さすがは県庁所在地であり、徳川家康公のゆかりの深い土地であり、その歴史の深さにも、畏敬(いけい)の念を抱きます。(因みに、駿府城は徳川家康公の隠居所として築城されたものです)
  
  
 これだけの広いスペースがありますから、色々なイベントが行われます。私のよく知っているものに、春の大御所祭、秋の世界の大道芸人を集めてのイベントなどには夫婦で、よく見に出掛けます。ところで、今はなくなりましたが、フェスタ静岡というイベントが、真夏にありまして、それにも、私は妻と見に来ました。特に、一流の演歌歌手を招待して、行われる歌謡大会は、テレビにも中継され、終わりには花火大会も行われ、私たちは最後まで見てゆきましたから、自宅に着くのが9時過ぎになりました。今、このイベントが取り止めになったのは、残念です。
                                 
 
 春、桜の咲く頃は駿府公園も、丁度、東京の上野公園と同じような一般の方々が、それぞれ場所を取り、満開の桜の木の下で、思い思いに宴会が繰り広げられます。その土・日の2日間、各々(おのおの)、名の売れたタレントが大御所姿になり、数人の侍者(じしゃ)を従え荷台に乗り、駿府城址(じょうし)からお姫様やら腰元やら侍姿の人たちで、静岡の街に行列を連(つら)ねて歩く。これが大御所祭です。
(大御所というのは徳川家康公のことです)

 ところで、私は生まれが富士宮市で、それも浅間大社の直ぐ近くで生まれた者です。そんなわけで、幼い頃から浅間大社には親しみがありました。そこで、富士市に住む今でも、元日の初参り、春・秋のお祭りには必ず参ります。さらに、静岡の浅間神社には、今の妻と結婚するようになってからは、正月三日には夫婦で、お参りに伺(うかが)います。
                                                              

 さて、話が一転しますが、私は日本刀を見ることが一つの趣味です。
 そこで、この浅間神社の境内にある文化財資料館で、確か、1月7日から徳川家康公の武具、殊(こと)に日本刀の展示会が催(もよお)されます。この機会を逃しては、と、私はこの開催中に静岡を訪れては、必ず、見に来ます。 徳川家康公の遺愛の太刀、また、静岡県在住の刀鍛冶(かじ)、つまり、駿府に住んでいた刀鍛治の打った数振りの刀を見ることが出来ます。
 

 因(ちな)みに、徳川家康公の太刀は、同じ市内の久能山東照宮の博物資料館で見ることが出来ます。それは言葉には出来ないほど素晴らしいものです。
 さらに、これは全く余談になりますが、三島市の佐野美術館では、1年に1度は、大々的に日本刀の展示会を行っております。


(4)
                                 
 静岡の街に行く日は土曜日が多い。別に何かにこだわってのことではなく、唯、静岡の街を知るには、土曜日がいいではないかと、単純に考え、そうなってしまったわけです。それと青葉公園では、土日は何かしらイベントがあり、それを見るのもいいではないかと考えたのです。
 私は愛煙家で、それが今、そのタバコを吸う場所が段々と減ってきて、青葉公園なら、ゆっくりと吸えるという思いもあり、また、ここは夏は涼しいし、春、秋には最適の休憩場所になります。規則正しく植えられた欅並木の四季の移り変わるのを見るのも楽しい。

 ところが、二つだけ困ったことがあるのです。一つは鳩が多いこと。いや、鳩が多いのは別にかまわないのです。私は動物が好きだから、この鳩がいることで心を癒(いや)してくれます。困るのは、その鳩の糞(ふん)です。その糞がベンチに付いて汚くて坐れないことが多いのです。特に夏の暑い日には、公園の地面に付いた鳩の糞が臭うのです。そこで、最近になって、『ハトがふえてこまっています。ハトにエサをあたえないでください』という看板が立てられました。私も以前、よく鳩にエサをやるのが楽しみだったのですが、やるのを控(ひか)えました。そこで、鳩がいなくなるのも寂しいし、糞を掃除するのも人件費がかかり大変だし、何か、妙案があればいいのですが……。

 もう一つ、これに関しては、そういう男の方にも問題がありますが、売春婦が出没することです。私は最近、2回、売春婦に声をかけられました。もっとも、この私が助平(すけべ)ったらしい顔をしていたからでしょうか。長い髪を茶色に染めた20代後半の色の白いぽっちゃりとした顔の女性が、何かソワソワと落ち着かない様子で、私に「ホテルに行きませんか」と誘ってきました。それも、真昼間の、そこでは高校生がジャズを演奏しているイベントが行われており、私は、それに聞き入っていたのです。彼女は、何か焦っていて、多分、ドラッグが切れて落ち着かないようなのです。しかし、私は女を買う考えもなく、お金も持っていないので、ハッキリと断りました。すると、彼女は夢遊病者のように、他の獲物を求めて去って行きました。若い身空でなんという哀れなことだろう。
 2回目は、まだ朝の10時頃、20代前半の女の子で、私がベンチでタバコを吸っていると……「1時間、1万円で楽しみませんか」と誘ってきました。それも自転車を曳(ひ)いて、スリッパのようなものを履いて、私もこんな若い子が、こんなことをするのが、哀れにも思えて、この子に因果をふくめてやって断ったのです。すると、納得したのかしないのか、あっけらかんと自転車に乗って去って行きました。
 とにかく、色ボケ、平和ボケした、この国の、こういう光景は情けない。私の子供の頃、外人相手の売春婦、所謂(いわゆる)、パンパンという女性がいましたが、この豊かな時代に、何で売春婦に身を落とすのか。残念である。



(5)
 私は、これまで静岡市の繁華街である呉服町を何度、歩いたことでしょう。それというのも、この呉服町を歩くことが静岡の街に来た時の楽しみの一つだからです。丁度、東京の銀座を歩く、所謂(いわゆる)、銀ぶら、あるいは、京都に行った時には必ず四条通を歩くようなものだからです。つまり、人通りの多い所、殊(こと)に若い人の多い所を好んで歩くのです。
 ところで何故、そういう所を私は好んで歩くのか? 一言で言えば、現代の日本の最新の文化を、あるいは流行を肌で感じることが出来るからです。私のように物を書くことを目的にしている者にとっては、そういう文化、流行に触れることが欠くべからざる事でもあるのです。さらに、私自身も若い気分になることが出来るのではないか、と思えるからです。すなわち、私も、そういう文化、流行の仲間に入れて下さい、という切ない願いでもあるからです。
 そんな私は、呉服町を歩くと色々なことを考える。というのも、呉服町は静岡市で一番、人通りが多い通りです。ですから、色々な人が歩いています。そういう人たちを観察するのも面白いものです。よく見ていると男の中には、ズボンのポケットに手を突っ込み、自分は二枚目で、プレイボーイのような顔をして闊歩(かっぽ)している人がいます。大体(だいたい)、そんな男に限って不細工(ぶさいく)な顔をしているものです。ですから、私のような皮肉な者には、とても二枚目には見えません。それどころか映画俳優でいえば、敵役(かたきやく)か三枚目にしか見えないのです。本当の二枚目は、デリカシーで控え目で奥床(おくゆか)しいものなのです。また、女性は女性で、自分は美人だと自分に言い聞かせて歩いているように見えるのです。確かに、そういう自信を持たなければ、美しさというものは輝かないものかもしれません。それに女性はファッションやコスメチックには手間やお金をかけているのですから、そういう並々ならぬ努力を買ってやらなければならないかもしれません。
 
 しかしながら、中には、あっと思うぐらいのミニスカートを穿(は)いている女性をよく見かけます。そういう女性は階段を上がる時には、下から見られないようにスカートを何がしかで押さえるのです。そういう光景を見るたび、そんなに見られたくなければ、何もわざわざ、そんな短いスカートを穿かなくても、と思うのですが、それはまたそれで、女性には女性の微妙な女心というものがあるのではないでしょうか。
 そこで、女性はスカートの中を隠そうとしますが、実は見られたくないのではありません。反対に見られたいのです。唯、そんな簡単には見せませんよ、ということです。そんな簡単に見せてしまえば、その価値というものが下がってしまうからです。勿論、そこには女性の羞恥心というものがあります。そういうこともあって隠そうとするのですが、男というものは隠そうとすればするほど、見たいという心理状態になるのです。それを女性は充分、計算に入れているわけです。
 そんなことを何とはなしに考えながら、私は呉服町を歩いているのです。

(6)
 私は最近、ダイエットにと散歩をしています。1日に約8キロを2時間ほどかけて散歩します。土曜日は静岡の街に必ず行きますので、その時、そのダイエットのためと信仰心から、静岡の浅間神社に参拝することにしております。浅間神社へは静岡駅から3キロほどはあります。時間にして、片道20分は掛かります。10時過ぎに静岡の駅に着き、まずは青葉公園に行き、そこで一服してから浅間神社に向かいます。すると、11時前には浅間神社に着き、参拝してのち、ここでも一服してから昼食をどこで摂(と)るか、一応、考えます。これまでカレー専門店で食事をしておりましたが、和食が食べたくなり、それも肉類が食べたくなりました。元来、夏は私は栄養補給のため肉類を多く摂取します。
 そこで、この浅間神社の門前通りに1軒、美味い和食の老舗(しにせ)があることを知っておりまして、と、いうもの、正月の三日に静岡の浅間神社に初詣した時は、必ず、この店を利用しています。元々は蕎麦屋なのですが、定食もあります。その定食の中でも、焼肉定食は 美味(おい)しいことを知っておりましたから、折り良く帰りしなに、この店で昼食を摂(と)ることにしました。神社からは3、4分歩けば、丁度、店も開ける頃になります。
 
 私が11時、ちょっと過ぎにこの店の暖簾(のれん)をくぐると、すでに一人、御婦人の先客がいました。席に着くと早速、オーダーを訊きに店員さんが来ます。最初、店員さんは、気を遣(つか)ってランチのメニューを見せますが、私は迷わず、「焼肉定食をお願いします」と、ハッキリと言うと、「お蕎麦は、冷たいのですね」と、一応、確認します。
 実は、以前にも初詣以外に、この店を利用した時、よく焼肉定食をたのみ、蕎麦は冷たいのにしていたので、店員さんも思い出したらしく、「お蕎麦は、冷たいのですね」と、確かめたようです。この店の焼肉定食の良いところは、まず、焼肉のタレに独特の味の美味しさがあります。それはどこの店でも、当然、同じことです。その店でしかない隠し味があるからこそであり、また、そのオリジナルな味を求めて客は来るわけです。そこで、はじめて食べ物の商売が成り立つというものです。
 さらに、この店では焼肉に御飯を食べたあとで冷たい、おろし蕎麦を食べる。これは、夏には持って来いの取り合わせです。それになますとお新香(しんこ)が添えられる。憎らしいほどの客へのサービスを心得ている。さすが老舗(しにせ)である。また、出されたお茶も美味しい。これも、さすが静岡、お茶どころである。これで会計が900円。申し分ありません。
 静岡という歴史のある都市で、当然、老舗も多い。また、新しい店も多い。どちらも、静岡という都市ならではの商売であり、それを利用する私のような客にとっては、充分に選ぶということも出来るし、また、それ自体が楽しい。まだまだ、静岡という街を語り尽くせませんが、これからも、この『静岡の街』を書こうと思っております。



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